日々つれづれ
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さぞかし外国人の観光客でにぎわったことでしょう~。自分は ほとんど見に行ってませんが…。以前 韓国語を勉強していたので アジア系の方が道端で話しているのを聞いて 大体どこの国の人かわかります。 中国語も特徴ありますから すぐわかります。 意味は わかりませんけど…。(^^)ノシ 今日 地下街で 見た人たちは たぶん台湾の人です。 たぶん…。 いきなり台湾の言葉で 話しかけたら 向こうは びっくりするでしょうか…。 そんなことを想像してました。
2月中旬ですね。今もまだ 父親が生きているような気がします。 病院に行けばベッドで寝ているような気がします。 自分の中で父は 絶対に死ぬはずのない存在でした。 その存在が いなくなるという衝撃は 想像 以上に悲しいことでした。 時折 すごい虚しさに苛まれることがあります。 それは やはり父という存在が 大きかったからでしょう。 確実に 今回の事で 自分の人生観が変わりました。 それも いい方に むいてます。
行ってきました。お婆さんの体調が良くないという事で お見舞いです。 しかも日帰り。 飛行機で行ってきました。すごいね、飛行機だと40分くらいで着いちゃうのね。 驚きました。 逢いたい時にあう。できる時にやる。これが自分の人生のテーマになりそうです。
じつは 去年末に 既婚者になりました。ぱちぱちぱち! ちゃんと報告していなかったので この場を借りてお知らせします。父親が 亡くなる2ヶ月くらい前、薬の影響で だんだん意識がなくなっていきました。結婚の報告は なんとか 父親の意識がある間に間に合いました。ギリギリ親孝行ができたと思っています。 婚姻届の保証人の欄は 父親に書いてもらいました。 腕に力が入らず 弱々しい字で名前と住所を書いてくれました。 これが父親が書いた最後の文字になりました。 今は 父親に対し感謝の気持ちで いっぱいです。
先週 父親が亡くなりました。 76歳。 悪性のリンパ腫が全身に広がり ここ最近は 入退院を繰り返していました。 今は まだ 現実を受け入れることが できず 長い悪夢が続いている感じです。 悲しみが 心を包んでいます。 父の旅立ちには 母がついていました。 苦しまず眠るように亡くなったそうです。 入院中ずっと痛そうに顔を しかめていたので やっと 解放されたのが 唯一の救いです。 これからは天国から 見守って欲しいと 心から願います。
たぶん初めてだったのでは……。 ブログお休みしたのは……。 もう少し 時間がたったら説明します……。